上杉氏憲 (深谷上杉氏)
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛永14年(1637年[1]) |
別名 | 五郎 |
主君 | 後北条氏 |
氏族 | 深谷上杉家→久保田氏 |
父母 |
父:上杉憲盛、母:太田資顕娘 猶父:北条氏政 |
兄弟 | 氏憲、深谷吉次、成田泰喬正室 |
妻 | 正室:北条氏政養女(北条氏繁娘) |
子 | 憲俊、憲成、憲国 |
上杉 氏憲(うえすぎ うじのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。深谷上杉家8代当主。後北条氏の家臣。武蔵国深谷城主。長尾景仲の仍孫に当たる。
略歴
[編集]上杉憲盛の子として誕生した。天正3年(1575年)、父の憲盛の死を受けて家督を継いだ。天正6年(1578年)に北条氏政の養女を正室に迎え、氏政の猶子となった。この時、氏政の「氏」の字を貰って氏憲と称した。その後、北条氏邦の傘下として各地を転戦した。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、諸侯と同じく召集を受け小田原城に立て籠もった。留守の深谷城は家臣の秋元長朝・杉田因幡守らが守備したが、主力は小田原城に詰めていたため寡兵であり、秋元らの判断により開城し降伏した。